2006年 08月 13日
「ゲド戦記」 宮崎吾郎 スタジオジブリ |
スタジオジブリhttp://www.ghibli.jp/の最新作「ゲド戦記」を観にいった。
原作は米国の作家アーシュラ・K・ル=グウィンのアースシーEarthsea連作である。「指輪物語」「ナルニア国ものがたり」と並んで世界三大ファンタジーと評される名作の映画化なのだ。
ご存知のように「指輪物語」と「ナルニア国ものがたり」はハリウッドの最新CG技術と巨費を投じて映画化されている。したがって「ゲド戦記」は日本が誇るアニメーション映画として世界を相手にハリウッド映画と競う構造となってしまう。
スタジオジブリの最新作と書いてしまったが、この映画の監督は宮崎吾朗である。ご存知だろう、宮崎駿の長男である。宮崎吾郎が監督に就任するにあたってはいろいろ議論があったらしい。宮崎吾郎は映画に関しても、アニメーションに関しても何の実績もない素人だったからである。吾郎氏は最初ジブリとは関係ない建築の仕事をしていたが、2001年にジブリ美術館の館長となる。父の会社に幹部として迎えられたのである。
そして今回ジブリの「顔」である監督をすることになったのだ。そのお手並みを拝見しよう。
私は原作を読んでいない。だから原作と比較しての評価は出来ないが、単独の映画としての本作には私は及第点をつけたい。
いわば規定演技である。世界的な名作を原作とし、父宮崎駿の作風を継承することを期待されながらの製作。その中では70点ぐらいの点数をつけなければならないだろう。
減点対象であるが、まず全体的に絵が荒い。有体に言ってしまえば一昔前の宮崎アニメを見ている感じがする。特にアレンが動揺したときの表情は映画の鍵になっているだけにもう少し丁寧に描くことはできなっかったのか?。過去の宮崎アニメからの「引用」があるのは当然であるが、少し類型的に過ぎる気がする。本映画に限って言えば「良い魔法使い」と「悪い魔法使い」の戦いという単純な構造を有している以上、悪役の「クモ」をもう少し掘り下げても良かった気がするのだが・・・・。
一方、この映画は一つの問題を提起する。映画監督は世襲できるのかどうかという問題である。
私は、宮崎吾郎には「二代目 宮崎駿」を襲名して欲しいと思っている。
日本の伝統芸能においては世襲が常識である。名人といわれた親に対してボンクラな子供もいたであろう。しかしボンクラであってもその血筋ゆえに大看板を襲名し、周囲の人間がそれを支えていくという構図があったはずである。
宮崎吾郎はボンクラというわけではなく、建築の専門家であり、映画やアニメについても造形が深く、絵心もあるという。是非とも「二代目 宮崎駿」を継承して欲しいと思う。
これは嫌味でも皮肉でもない。アニメは日本の伝統芸能の一つであると私は思うからだ。「先代とは芸風がここがちがうねえ」なんていう会話は通の好むところである。
「二代目襲名」の際には黒紋付羽織袴でパレードをして欲しい。宮崎駿は黒紋付など憎悪するだろうが、それも世代の違いを強調できてよいではないか。
原作は米国の作家アーシュラ・K・ル=グウィンのアースシーEarthsea連作である。「指輪物語」「ナルニア国ものがたり」と並んで世界三大ファンタジーと評される名作の映画化なのだ。
ご存知のように「指輪物語」と「ナルニア国ものがたり」はハリウッドの最新CG技術と巨費を投じて映画化されている。したがって「ゲド戦記」は日本が誇るアニメーション映画として世界を相手にハリウッド映画と競う構造となってしまう。
スタジオジブリの最新作と書いてしまったが、この映画の監督は宮崎吾朗である。ご存知だろう、宮崎駿の長男である。宮崎吾郎が監督に就任するにあたってはいろいろ議論があったらしい。宮崎吾郎は映画に関しても、アニメーションに関しても何の実績もない素人だったからである。吾郎氏は最初ジブリとは関係ない建築の仕事をしていたが、2001年にジブリ美術館の館長となる。父の会社に幹部として迎えられたのである。
そして今回ジブリの「顔」である監督をすることになったのだ。そのお手並みを拝見しよう。
私は原作を読んでいない。だから原作と比較しての評価は出来ないが、単独の映画としての本作には私は及第点をつけたい。
いわば規定演技である。世界的な名作を原作とし、父宮崎駿の作風を継承することを期待されながらの製作。その中では70点ぐらいの点数をつけなければならないだろう。
減点対象であるが、まず全体的に絵が荒い。有体に言ってしまえば一昔前の宮崎アニメを見ている感じがする。特にアレンが動揺したときの表情は映画の鍵になっているだけにもう少し丁寧に描くことはできなっかったのか?。過去の宮崎アニメからの「引用」があるのは当然であるが、少し類型的に過ぎる気がする。本映画に限って言えば「良い魔法使い」と「悪い魔法使い」の戦いという単純な構造を有している以上、悪役の「クモ」をもう少し掘り下げても良かった気がするのだが・・・・。
一方、この映画は一つの問題を提起する。映画監督は世襲できるのかどうかという問題である。
私は、宮崎吾郎には「二代目 宮崎駿」を襲名して欲しいと思っている。
日本の伝統芸能においては世襲が常識である。名人といわれた親に対してボンクラな子供もいたであろう。しかしボンクラであってもその血筋ゆえに大看板を襲名し、周囲の人間がそれを支えていくという構図があったはずである。
宮崎吾郎はボンクラというわけではなく、建築の専門家であり、映画やアニメについても造形が深く、絵心もあるという。是非とも「二代目 宮崎駿」を継承して欲しいと思う。
これは嫌味でも皮肉でもない。アニメは日本の伝統芸能の一つであると私は思うからだ。「先代とは芸風がここがちがうねえ」なんていう会話は通の好むところである。
「二代目襲名」の際には黒紋付羽織袴でパレードをして欲しい。宮崎駿は黒紋付など憎悪するだろうが、それも世代の違いを強調できてよいではないか。
by mec666cem
| 2006-08-13 14:27
| 映画・TV