2006年 03月 15日
ペット |
ペットボトルのことではない。愛玩用家畜であるところのペットの話である。
人間が愛玩用として飼う生物のうち、大雑把に言って植物以外のものをペットといっている。そのペットの王様はなんと言っても犬と猫であろう。
子供のころ犬を飼っている友人を見て、うらやましいと思う一方で何か変だな、と感じていた。
その後、社会人になって初めて与えられた職場には、なぜか犬を飼っている人が多かった。そして彼らの言動を観察していて私は確信した。
「犬を飼っていると知能指数が低下する」
という事実を。
私も犬がかわいいというのはわかる。動物以外でも、たとえば愛車(自動車)やアニメのフィギュアや日本刀なども十分に擬人化した愛情の対象になりうるものである。しかし、動物の場合は生き物である分愛着も大きくなる。そして、犬は動物の中で最も人間に対してよく反応してくれる動物なのだ。
いやいや間違っていた。
人間に対してもっとも良く反応する動物というのは実は人間である。人間こそが愛情の対象として最大最強のものだ。
しかし犬には人間と違って、愛情を向ける対象として決定的に便利な点がある。
それは犬が 言葉が話せない ことと 家畜であることをやめられない 、飼い主を選べない ことだ。
犬は飼い主の おもちゃ としてよく出来ている。この言葉を言うと、顔を真っ赤にして怒る愛犬家の姿が目に浮かぶが、真実なのだから仕方がない。
現在市場で人気がある犬のほとんど(全部?)は人間の愛玩用に姿形を設計されて作られたものだ。もとは狩猟などの実用のために品種改良されたものもあるが、現在では愛玩用のバリエーションとして存在しているのだ。まさしく生きたおもちゃである。
このような犬が置かれている立場というものは、犬を飼っている人もある程度わかっていて、犬の行動から感情を読み取ろうとしたり、しきりに話しかけたりすることでそのことを忘れようしている姿を見たことがあるだろう。悲しいかな、犬の人間に対するホスピタリティは、人間の客観的判断能力を凌駕する魔力を秘めているようだ。
このようにして、首輪につながれた動物を抱きしめて、
「○○(←犬の名前)はペットなんかじゃない、家族なんだ!」
などということを言い出す人が現れる。
こういった現象は親馬鹿の亜型みたいなもので、愛情から来る一時的な勘違いに過ぎないという意見もあるかもしれない。
しかし、そうではないらしい。
次のリンクに示すのは、最近愛犬家の間でもてはやされている文章である。その名も「犬の十戒」。
「犬の十戒」
これは、動物を買う際の心得としてよく出来ているといえなくもない。動物を飼いたいという子供に読ませてやってもいいだろう。
しかしこれを読んで、心を動かされるのは「愛犬教」に入信している人である。
犬の気持ちを代弁する形で書かれているのは犬がこう思っていて欲しいという飼い主の願望そのものだからだ。
先日テレビでココリコの田中が面白い話をしていた。
以前田中は犬を飼っていたのだそうだ。田中は、犬小屋を作ったり、忙しい中散歩をしたりと大変なかわいがりようで、相方の遠藤も感心するほどだったそうだ。
犬を飼い始めて2年ほどたったとき、広い公園に犬と出かけた田中は、たまには自由に遊ばせてあげようと犬の首輪をはずしてあげた。
すると犬は、一目散に駆け出し、そのまま一直線に田中の視界から消えていったのだそうな。田中は呆然としながら思った。
「・・なんやアイツ・・二年間ず~っと俺から逃げたかったんか・・」
「犬の十戒」もう一度読み直してあげてください。
人間が愛玩用として飼う生物のうち、大雑把に言って植物以外のものをペットといっている。そのペットの王様はなんと言っても犬と猫であろう。
子供のころ犬を飼っている友人を見て、うらやましいと思う一方で何か変だな、と感じていた。
その後、社会人になって初めて与えられた職場には、なぜか犬を飼っている人が多かった。そして彼らの言動を観察していて私は確信した。
「犬を飼っていると知能指数が低下する」
という事実を。
私も犬がかわいいというのはわかる。動物以外でも、たとえば愛車(自動車)やアニメのフィギュアや日本刀なども十分に擬人化した愛情の対象になりうるものである。しかし、動物の場合は生き物である分愛着も大きくなる。そして、犬は動物の中で最も人間に対してよく反応してくれる動物なのだ。
いやいや間違っていた。
人間に対してもっとも良く反応する動物というのは実は人間である。人間こそが愛情の対象として最大最強のものだ。
しかし犬には人間と違って、愛情を向ける対象として決定的に便利な点がある。
それは犬が 言葉が話せない ことと 家畜であることをやめられない 、飼い主を選べない ことだ。
犬は飼い主の おもちゃ としてよく出来ている。この言葉を言うと、顔を真っ赤にして怒る愛犬家の姿が目に浮かぶが、真実なのだから仕方がない。
現在市場で人気がある犬のほとんど(全部?)は人間の愛玩用に姿形を設計されて作られたものだ。もとは狩猟などの実用のために品種改良されたものもあるが、現在では愛玩用のバリエーションとして存在しているのだ。まさしく生きたおもちゃである。
このような犬が置かれている立場というものは、犬を飼っている人もある程度わかっていて、犬の行動から感情を読み取ろうとしたり、しきりに話しかけたりすることでそのことを忘れようしている姿を見たことがあるだろう。悲しいかな、犬の人間に対するホスピタリティは、人間の客観的判断能力を凌駕する魔力を秘めているようだ。
このようにして、首輪につながれた動物を抱きしめて、
「○○(←犬の名前)はペットなんかじゃない、家族なんだ!」
などということを言い出す人が現れる。
こういった現象は親馬鹿の亜型みたいなもので、愛情から来る一時的な勘違いに過ぎないという意見もあるかもしれない。
しかし、そうではないらしい。
次のリンクに示すのは、最近愛犬家の間でもてはやされている文章である。その名も「犬の十戒」。
「犬の十戒」
これは、動物を買う際の心得としてよく出来ているといえなくもない。動物を飼いたいという子供に読ませてやってもいいだろう。
しかしこれを読んで、心を動かされるのは「愛犬教」に入信している人である。
犬の気持ちを代弁する形で書かれているのは犬がこう思っていて欲しいという飼い主の願望そのものだからだ。
先日テレビでココリコの田中が面白い話をしていた。
以前田中は犬を飼っていたのだそうだ。田中は、犬小屋を作ったり、忙しい中散歩をしたりと大変なかわいがりようで、相方の遠藤も感心するほどだったそうだ。
犬を飼い始めて2年ほどたったとき、広い公園に犬と出かけた田中は、たまには自由に遊ばせてあげようと犬の首輪をはずしてあげた。
すると犬は、一目散に駆け出し、そのまま一直線に田中の視界から消えていったのだそうな。田中は呆然としながら思った。
「・・なんやアイツ・・二年間ず~っと俺から逃げたかったんか・・」
「犬の十戒」もう一度読み直してあげてください。
by mec666cem
| 2006-03-15 23:40
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